平成23年(2011年)の3月11日に発生した東日本大震災から今日で4年になりました。
4年前の3月11日は今でも鮮明に覚えています。
大学入試も終わり、関西の文系総合私立大学への進学を決めた私は、
普通自動車第一種運転免許の取得のため、ネヤガワドライビングスクールという
自動車教習所に通っていました。
2階の教室で、その日の学科授業が終わり、教室を出ようとした時に、地面が揺れて
机にもたれかかりました。
最初はめまいがしたのかもしれないと思い、そのまま揺れながら、
一階のロビーに着いたら、小学生時代の友人から、
「東北に1000年に一度のレベルの大地震が来た」というメールが来ました。
受け取った時は、そんなまさかと軽く考えていましたが、
しばらくして、テレビに大津波に飲み込まれる街の様子が流れ、私は言葉を失いました。
幸いにも、当時、私が住んでいた大阪は大きな被害を受けませんでしたが、
その日から、東日本大震災のことが頭から離れませんでした。
そして、当時の民主党の菅直人政権が震災に対して対応が遅れていること、
メディアも原発事故による放射能汚染の情報が錯綜し、
私は何を信じていいのか分からず、そのまま大学の入学説明会と入学式を迎えました。
当時は、震災の直後ということもあり、お祭りや電力の消費に対しても、
自粛ムードが漂っていました。
震災の直後に入学したということもあり、大学では連日、原発の話や被災地の話、
ボランティアの話がされました。
しかし、それらの話を聞いても、自分はどうなんだ、自分には何ができるんだ、
何もできないじゃないかと自問自答に陥りました。
そんなときでも、政治は混乱し、復興増税など、わけのわからない方向に
日本は進んでいました。
このままの自分ではいけない。
このままの日本ではいけない。
そして、私は考えたのです。
自分は震災の直後に大学生になった。
だったら、そんな自分でしかできないことをやろうと。
学生の間でしかできないことをやり、さまざまな知識と経験を身につけ、
社会に貢献できるような、大きな人間になろうと決めたのです。
それから私は様々な行動を起こし、自分を成長させました。
大学1年生の夏休みは、政治のことを知るために、議員インターンシップに参加しました。
大学1年生の春休みは、海外のことを知るために、アメリカのボストンへ留学しました。
大学2回生の夏休みも、海外のことを知るため、ヴェトナム、カンボジアへの海外ボランティアに参加しました。
大学3年生の夏休みは、被災地の現状を知るため、2回に分けて、
ボランティアとして、東北の被災地を訪れました。
解体される前の第18共徳丸
そして、約10ヶ月間の就職活動が終わり、まもなく、大学を卒業します。
振りかえってみると、とても充実した学生生活でした。
政治や海外の知識だけでなく、日本人としての教養や
学生の間でしかできないような経験を多くしました。
この4年間の学生時代は、私の人生の宝です。
来月からは新社会人として、22年間、自宅で家族と住み続けた大阪を離れ、
一人暮らしを始めます。
東日本大震災の直後、大学生になった者として、
これから、私が何を為し、どう社会に貢献していくのか。
このブログを通して、私の成長への道を、皆さんに発信していきます。
これからも、よろしくお願いします。
ジュンより
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